「悪霊との闘い」
Bible Reading (聖書の個所)
「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊(たち)に対する権能(を支配する権限)をお授けになった。汚れた霊(たち)を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。・・イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人(たち)の道に行ってはならない。また、サマリア人(たち)の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊(たち)のところへ行きなさい。行って、『天の国(神の国)は近づいた』と(言って福音を)宣べ伝えなさい。病人(たち)をいやし、死者(たち)を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人(人々)を清くし、悪霊(たち)を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」(マタイ10:1-15)
イエスはそこ(ガリラヤ湖の西北岸)を立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑(くず)はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。(マルコ7:24-30)
(注)
・汚れた霊:悪霊のことです。当時、あらゆる病気や患いの原因であると考えられていました。ファリサイ派の人々はイエス様の癒しの業を貶(おとし)めるために「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言ったのです。(マタイ9:32-34)
・サタン:元々は神様の命に従って活動する天使です。「告発する者」と呼ばれています。悪霊の頭です。ベルゼブルはサタンの別名です。
■ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢(むく)な正しい人で、神を畏(おそ)れ、悪を避けて生きている。」サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪(のろ)うにちがいありません。」主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。(ヨブ記1:6-12)
・サタンの誘惑:宣教を開始される前のイエス様に挑戦しています。
■すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える』/と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。(マタイ4:3-11)
・サタンの追放:
■さて、天で戦いが起こった。ミカエル(大天使)とその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。(ヨハネの黙示録12:7-9)
・12使徒:ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネは漁師でした(マタイ4:18-22)。フィリポはイエス様から「わたしを見た者は、父を見たのだ」と叱責されました(ヨハネ14:8-9)。トマスはイエス様が「神様であること」を明言しました(ヨハネ20:24-29)。マタイはローマ帝国の税の取り立てに協力する徴税人でした(マタイ9:9-13)。もう一人のシモンはローマ帝国の支配に武力で抵抗する熱心党に属していました。イスカリオテのユダは祭司長たちからお金をもらってイエス様を裏切りました(マルコ14:10-11)。バルトロマイ、アルファイの子ヤコブとタダイの詳細は不明です。
・72人の派遣:その後、イエス様はご自分が行くつもりの町や村に二人ずつ先に遣わされました。
■七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:17-20)
・異邦人宣教:マタイ8:5-13,15:21-28,28:19-20に記述されています。
・サマリア宣教:ヨハネ4、ルカ9:51をお読みください。
・イスラエルの家の失われた羊:牧者と羊の関係を表しています。民数記27:16-17、イザヤ書40:11、エゼキエル書34:1-6を参照して下さい。
・天の国:神の国とも言います。神様の支配を表す言葉です。天上と地上において神様が神様として崇(あが)められることです。
・家:教会を兼ねている家もあったのです。イエス様は「家」を宣教の拠点とされていました(マルコ3:20)。
・足の埃を払い落とすこと:強い拒絶反応を表す行動です。
・ソドムとゴモラ:いずれも不信仰の町です。創世記18ー19に登場します。
・サマリア、シリア、ガリラヤ、ゲラサ、エルサレム、ユダヤについては聖書地図を参照して下さい。
・ティルス:ガリラヤの西北に位置しています。ほとんどの住民が異邦人です。ユダヤ人たちから蔑(さげす)まれていました。エゼキエル書26:1-28:19を参照して下さい。
・ひれ伏す:イエス様を「神の子」として認めていることです。
・ギリシア人:一般的には異邦人を指しています。この場合、民族(国籍)としてはシリア・フェニキア人を表しています。
・子供たち:イスラエルの人々(ユダヤ人たち)です。
・子犬たち:犬はユダヤ人たちにとって汚れた動物です。異邦人たちに対する極めて非礼な言葉です。
・サタンがペトロを一時的に支配することがあったのです。
■それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。(マルコ8:31-33)
■「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」(ルカ22:31-34)
(メッセージの要旨)
*イエス様は「わたしは、サタンが稲妻(いなずま)のように天から落ちるのを見(てい)た」と言われました。「神様の御心」が天上で実行されているのです。神様は地上においてもご意思を貫かれるのです。それが、イエス様を通して証しされた「神の国」の到来なのです。すでに、神様は天上と地上において勝利を宣言されたのです。ところが、汚れた霊たち(サタン)は人間を一時的にでも何とか支配しようとしているのです。汚れた霊たちはイエス様を見れば自分たちの方から話しかけるのです。彼らの中には自分の名前を持っている悪霊もいるのです。イエス様が悪霊を追い出しておられると、人々の中には「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者たちもいたのです。イエス様は彼らに「わたしは神の指で悪霊を追い出している」と反論されたのです(ルカ11:14-20)。後の話ですが、パウロがエフェソ(現在のトルコ)で宣教していた頃、悪霊がイエス様の名前によって自分を追い出そうとするユダヤ人祈祷師(きとうし)たちに「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ」と言って、彼らをひどい目に遭わせたこともあったのです(使徒19:11-16)。結果として、イエス様の名が大いに崇(あが)められるようになったのです。しばらくはこの世の支配者であるサタンとの闘いが続くのです。その際、キリストの信徒たちの信仰が常に問われることになるのです。ティルスの母親が示したようなイエス様への揺るぎない信頼が闘いを勝利に導くのです。
*イエス様は洗礼者ヨハネが捕らえられた後、ガリラヤへ行き「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言って宣教を開始されました。いよいよ「神様の支配」が実現するのです。イエス様を通してその事実が人々に見えるようになるのです。先ず、シモン(ペトロ)、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを弟子とし、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムの会堂で安息日に教え始められたのです。人々は律法を引用するのではなく、ご自身を主語とする教え方に驚いたのです。そのとき、会堂にいた汚れた霊に取りつかれた男が叫んだのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエス様が「黙れ。この人から出て行け」とお叱(しか)りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行ったのです。人々は「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚(けが)れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエス様の評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々に広まったのです。夕方になって日が沈むと(安息日が終わると)、町中の人が病人たちや悪霊に取りつかれた人たちを連れて来ました。イエス様は彼らを癒されたのです(マルコ1:14-34)。最も古いマルコ福音書は16章です。他の福音書と比べても短いのです。イエス様の悪霊払いを四例も取り上げているのです。最初に「復活の主」に出会ったマグダラのマリアは七つの悪霊を追い出していただいた女性です(マルコ16:9)。人々は悪霊に苦しめられていたのです。
*イエス様は弟子たちの中から12人を選んで使徒として各地方に派遣されました。その際、汚れた霊に対する権能をお授(さず)けになられたのです。「神の国」の宣教活動の中には悪霊払いという重要な使命がありました。多くの人が悪霊に悩まされているという厳しい現実があったからです。イエス様の一行がガリラヤ湖の東側にあるゲラサ(ガダラ)地方に着きました。汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来てひれ伏したのです。イエス様がこの人から出て行けと言われると、汚れた霊は「いと高き神の子イエス・・苦しめないでほしい」と大声で叫んだのです。この霊には「レギオン」(大勢)という名前がありました。イエス様は彼らの希望通りに豚に乗り移らせました。豚の群れは崖(がけ)から落ちて湖の中でおぼれ死んだのです。汚れた霊に取りつかれていた人は正気に戻り、イエス様に従いたいと願い出たのです。しかし、イエス様は主があなたを憐れんで下さったことを身内の人々や地元の人たちに証ししなさいと言われたのです。この人は直ちにそれを実行したのです(マルコ5:1-20)。カファルナウムの会堂にいた汚れた霊もゲラサの「レギオン」もイエス様を見て自分たちの方から語りかけているのです。早かれ遅かれ滅ぼされることを承知しているのです。イエス様のお名前を使うと汚れた霊たちは屈服するのです。サタンはすでに天から追放されているのです。イエス様は「・・あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と励まして下さるのです(ヨハネ16:33)。
*一方、イエス様は悪霊に取りつかれた子供たちの癒しについては悪霊と直接言葉を交わされることはなかったのです。親の信仰を重視されるのです。地中海沿岸の町ティルスにも悪霊に苦しめられている異邦人の幼い女の子がいました。母親は幼い娘のことを心配していましたが、有効な治療方法は見つからなかったのです。ある時、母親はイエス様が近くに来られたことを聞きつけたのです。すでに、彼女はイエス様の評判を知っていました。藁(わら)をもつかむ思いでイエス様のもとへ駆けつけたのです。ところが、イエス様は母親の申し出をすぐには受け入れられませんでした。「悔い改め」が必要な同胞への宣教を優先されるのです。「神様の祝福は他の民族(異邦人たち)よりもユダヤ人たちに優先的に与えられるという祖先への約束」を表現した諺(ことわざ)を用いて、母親の信仰心を確かめられたのです。彼女はユダヤ人たちの優越性を認めた上で、恵みの極一部を異邦人の娘にも分けて下さるようにと懇願したのです。母親の言葉は謙虚とか遠慮と言うようなものではないのです。イエス様への絶対的な信頼を表明しているのです。彼女はイエス様が誰にでも癒しの業を実施して下さることを信仰によって確信していたからです。マタイの並行個所では、イエス様は「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」と言われたのです(マタイ15:28)。その時、悪霊は幼い娘から追い出されたのです。母親は家に帰ってその事実を確認したのです。先ず、イエス様を信じることから始めるのです。そうすれば願いは叶えられるのです。
*汚れた霊に苦しめられている(恐らくてんかん症状のある)息子を持つユダヤ人の父親がイエス様に助けを求めてやって来ました。汚れた霊はイエス様を見るとすぐにその子をひきつけさせたのです。その子は地面に倒れ、転び回って泡(あわ)を吹いたのです。幼い時から今日に至るまで息子の病状は少しも改善しませんでした。汚れた霊が息子の命を危うくすることも度々あったのです。父親はイエス様の弟子たちに癒していただこうとしたのですが、彼らには出来なかったのです。イエス様に出会った父親はわずかな望みを抱いて「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助け下さい」と申し出たのです。イエス様は「おできになるなら・・」と言った父親の不信仰を叱責(しっせき)されたのです。「信じる者には何でもできること」を明言されたのです。父親は自分の不信仰を悔いたのです。「信じます。信仰のないわたしをお助け下さい」と再度訴えたのです。イエス様は汚れた霊に「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな」と命じられたのです。すると、汚れた霊は叫び声をあげ、ひどくひきつけさせて息子から出て行ったのです(マルコ9:14-27)。イエス様から指示されると彼らは黙って従うのではないのです。人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行くのです。汚れた霊たちは抵抗するのです。しかし、最終的に人間に対する支配を放棄するのです。悪霊であれ、他の誰であれ「神の国」の福音を妨げることは出来ないのです。イエス様を信じて悪霊と闘うのです。