「わたしは世の光」
日 時 2026年10月04日(日)午前10時30分~
礼 拝 式 及び 聖 餐 式 次 第
前奏 (Prelude)
讃美歌7番
1
主のみいつと みさかえとを
声のかぎり たたえて
またき愛と 低き心
御座(みざ)にそなえ ひれふす
2
ゆだねまつる わが重荷を
主はかわりて 負いたもう
悩み多き世の旅路も
主のいませば やすけし
3
喜びもて 御前(みまえ)にいでん
貧しき身の ささぐる
愛とまこと 主はよみして
みくら近く めしたもう
4
闇をかえて 光となす
なぐさめ主 とうとし
のぞみはわき おそれは消え
み民のさち つきせじ
アーメン
BRIEF ORDER FOR CONFESSION AND FORGIVENESS
(P) In the name of the Father, and of the + Son, and of the Holy Spirit.
(C) Amen
(P) God, whose love is everlasting, welcomes sinners to the table of mercy.
Let us confess our sin, confident in God’s forgiveness.
Silence for reflection and self-examination.
(P) Gracious God,
(C) Have mercy on us.
In your gracious compassion forgive us our sins, both known and unknown,
things done and left undone.
Uphold us by your Spirit so that we may serve you in newness of life, to
the honor and glory of your holy name, through Jesus Christ our Lord. Amen.
(P) Since we are justified by God’s grace through faith,
We have peace with God through our Lord Jesus Christ.
Almighty God has mercy on you, forgives you all your sins,
And bring you to life everlasting.
Amen
Prayer of the Day(今日の祈り)
Bible Reading (聖書の個所)ヨハネによる福音書8章12節から30節
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」イエスは(神殿の境内で)教えておられたとき、宝物殿の近く(中)でこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。
(注)
・仮庵祭(かりいおさい):過越祭と七週祭と共に三大祭りの一つです。
イエス様は少なくとも年に三回はエルサレムに巡礼されました。仮庵祭は9月の終わりから10月の初めごろに一週間行われます。ゼカリヤ書14章が朗読されるのです。神殿儀式の中に収穫、干ばつ、来る冬の暗さ、砂漠における放浪の旅、終末思想のモチーフが取り入れられています。乾いた季節に水が必要であることを想起させる「水の儀式」、昼と夜の長さが同じになる秋分の日を記念する「光の儀式」によってお祝いするのです。前者はイエス様が言われた「生きた水の流れ」と深く関連しています(ヨハネ7:37-38)。朝夕シロアムの池の水を神殿に運び祭壇に注いだのです。後者は「神様の栄光」が太陽に取って代わることを表しています。夕べになっても光があるのです(ゼカリヤ書14:7)。神殿の境内に設置された16の鉢に明かりが灯され、エルサレムを照らすのです。街灯のない時代、その光景は人々に荘厳さを与えたのです。ただ、その日-救いの日-は主のみがご存じなのです。
・光:元々は暗闇(外国の支配)からの解放を意味しているのです。
■闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者(たち)の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛(くびき)、肩を打つ杖、虐(しいた)げる者の鞭(むち)を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。(イザヤ書9:1-3)
●ミディアンの日:神様の導きによって、士師ギデオンはミディアン人との戦に勝利したのです。(士師記7:15-25)
・二人の証人:
■いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない。(申命記19:15)
●人を死刑に処すためには二人またはそれ以上の証人が必要でした。申命記17:6を参照して下さい。
・わたしはある:イエス様が「神様であること」を明らかにされたお言葉です。出エジプト記3:14をお読み下さい。
・イエス様が宣教された「神の国」-神様の支配-の到来は人々にとって「永遠の命」に生きる希望となったのです。
(メッセージの要旨)
*仮庵祭が最も盛大に祝われる終わりの日を迎えていました。人々はイスラエルの歴史を想起するのです。神様は天地創造の過程において混沌(こんとん)の中から「光」を創造されたのです(創世記1:3-4)。王ファラオの圧政に喘(あえ)ぐヘブライ人たちをエジプトの地から脱出させられました。砂漠の中で民が迷わないように昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれたのです(出エジプト記13:21-22)。イスラエルの民は神様を賛美して「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩み(足)を照らす灯(ともしび)」と言ったのです(詩篇119:105)。一方、祭司長たちとファリサイ派の人々はこの機会にイエス様を逮捕するために画策するのです。緊迫した状況においても、イエス様は民衆に教えておられました。ご自身を「世の光」と呼ばれたのです。「暗闇」を照らしておられるのです。ファリサイ派の人々はイエス様の宣言を非難したのです。しかし、様々な証人たちがイエス様の主張の正しさを証明しているのです。洗礼者ヨハネは燃えて輝く灯となってイエス様を証ししたのです(ルカ1:16)。神様はイエス様によって力ある業(癒しや奇跡)を実行されたのです。「神の国」の福音は「霊的な救い」に留まらないのです。人間の「全的な解放」として具体化しているのです。イエス様を「救い主」として信じる人々は「永遠の命」に与るのです。イエス様は弟子たちに「あなたがたは世の光である」と言われました(マタイ5:14)。イエス様の御跡を辿(たど)り、「神様の御心」―神様と隣人を愛すること-を実現するのです。
*ファリサイ派の人々はイエス様が「神の子であること」を信じないのです。天使はヨセフにマリアの胎内の子(イエス様)がイザヤの預言「見よ、おとめが身ごもって男の子を生み、その名をインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ぶ」(イザヤ書7:14)の成就(じょうじゅ)であることを宣言したのです(マタイ1:18-23)。洗礼者ヨハネは母エリザベトの胎内にいる時から聖霊様に満たされていました。天使はイスラエルの民が悔改めて神様の下へ帰るように、洗礼者として活動することを命じられたのです(ルカ1:15-16)。ユダヤの全地方とエルサレムから洗礼を受けるために来た人々に「わたしよりも優れた方(イエス様)が後から来られる。・・わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」と預言したのです(マルコ1:7-8)。イエス様がヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた時、神様は「これはわたしの愛する子、わたしの心に適(かなう)う者」と言われたのです(マタイ3:17)。イエス様はおよそ四千人に食事を提供するために祈られたのです。神様はそれぞれにパンと魚を十分に与えられたのです(マルコ8:1-8)。神様はイエス様の願いを聞かれて「墓に葬(ほうむ)られて既に四日も経っている(確実に死んでいる)ラザロ」を蘇(よみがえ)らされたのです(ヨハネ11:41-44)。ファリサイ派の人々は旧約聖書(律法)の中に「永遠の命」があると考えているのです。ところが、イエス様は「聖書はわたしについて証しをするものだ」と言われたのです(ヨハネ5:39)。
*イエス様は「世の光」-救い主-であることが複数の証言によって明らかになったのです。イエス様に従う者は誰でも暗闇の中を歩かないのです。進むべき道を知っているからです。一方、イエス様は「救い」を願う人々にご自身への絶対的な忠誠を求められるのです。信仰に生きる覚悟を示さなければならないのです。この世における様々な誘惑を断固として退けるのです。福音書記者ヨハネは優柔不断な人々に「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。・・しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために」と言って警告しているのです(ヨハネ3:19-21)。暗闇は「霊的な闇」-不信仰-として理解されることが多いのです。しかし、不信仰は「悪い行い」と密接に関連しているのです。神様の下に立ち帰るためには悔い改めが必要です。「悪業」と決別することが不可欠なのです。イエス様は「実力行使」によってエルサレム神殿の境内から商人たちを追い出されました。「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは強盗の巣にしてしまった」(イザヤ書56:7;エレミヤ書7:11)を引用して、神殿政治を担う人々の腐敗と不正を厳しく非難されたのです
(マルコ11:15-18)。「わたしは世の光である」の意味は極めて深いのです。指導者たちが「光」を失っていること-責務を放棄していること-を公にされたのです。ユダヤ教の根幹を形成しているエルサレム神殿の「正当性」が問われているのです。
*イエス様が命を賭(と)して宣教された「神の国」の福音が誤解されているのです。イエス様は徹底して「神の子」としての使命を果たされたのです。ご自身を律法の上に置き、愛の観点から「安息日」を解釈し、徴税人や罪人たちと交際されたのです。律法には「神を冒涜(ぼうとく)する者はだれでも、その罪を負う。主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す」(レビ記24:15-16)、「ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない」(申命記18:20)と定められているのです。イエス様の言動は指導者たちにとって重大な律法違反なのです。放置すれば神殿政治が否定されかねないのです。「神様の御心」である「神の国」の到来を福音として宣教されたイエス様と、神様がモーセを通して与えられた律法や慣習を厳格に履行する指導者たちとの間に深刻な対立が生じているのです。指導者たちがイエス様を殺すもう一つの要因は民衆の前で自分たちの不信仰と不正が暴露(ばくろ)されたことです。新約聖書はこれらの人の偽善や不法を詳しく伝えています。律法や慣習に関する豊富な知識を私的利益のために巧みに利用しているのです。大切にされるべきやもめ(寡婦)たちを食い物にしているのです。彼女たちの財産をだまし取っているのです(マルコ12:38-40)。最も重要な正義、慈悲、誠実がないがしろにされているのです(マタイ23)。これらの人の罪こそ裁かれるべきなのです。
*神殿政治を担う人々(ファリサイ派の人々など)が民衆を不当に支配しているのです。これらの人は最も重要な戒めー神様と隣人を愛することーを言うだけで、実行しないのです。まさに偽善者なのです。イエス様はこの世の闇に隠された不正、無慈悲、不誠実を白日の下に晒(さら)されたのです。弟子たちにも「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」と言われたのです
(マタイ5:16)。「立派な行い」とは篤(あつ)い道徳心や善い行いのことだけではないのです。この世の闇に「光」を当て、不正や腐敗を告発し、現状を変革することです。貧しい人々や虐げられた人々と共に歩むことなのです。旧約聖書は指導者(王)たちのありのままの姿を伝えています。神様はその都度預言者を起こしてこれらの人を導かれたのです。新しい天地の創造-最後の審判-を決断されたのです。先立って、「世の光」として御子を遣わされたのです。新約聖書にはイエス様のお言葉とご生涯が記録されています。神様は正義と愛を大切にされるお方です(レビ記19:9-18)。イエス様は十字架の死に至るまで神様への従順を貫かれたのです。「神様の御心」に沿って隣人-苦難や病にある人々-を愛されたのです(マルコ12:28-31)。この世は闇に覆(おおわ)われているのです。真実が見えにくくなっているのです。人々は切実に「光」―正義と愛-を求めているのです。キリストの信徒たちには「世の光」として「神の国」の福音を届ける責務があるのです。
讃美歌9番
1
ちからの主を ほめたたえまつれ
わがこころよ 今しも目さめて
たてごと かきならしつつ
御名をほめまつれ
2
すくいの主を ほめたたえまつれ
みことばもて わが身をはげまし
悩みに かたしめたもう
みいつ たぐいなし
3
いのちの主を ほめたたえまつれ
しげきめぐみ あめとふりそそぐ
尽きせぬ みいつくしみを
いかで わするべき
4
さかえの主を ほめたたえまつれ
世をこぞりて かしこみあがめよ
ひかりにいます わが主を
とわに ほめまつれ
アーメン
MEAL
PEACE
(P) The Peace of the Lord be with you always.
(C) And also with you.
SHARING OF THE PEACE
聖餐式(HOLY COMMUNION)
(P) The Lord be with you.
(C) And also with you.
(P) Lift up your hearts.
(C) We lift them to the Lord.
(P) Let us give thanks to the Lord our God.
(C) It is right to give our thanks and praise.
(P) It is indeed right and salutary that we should at all times and in
all places
offer thanks……. (Here the minister continues with the proper preface,
concluding:) we praise your name and join their unending hymn:
WORDS OF INSTITUTION
In the night in which he was betrayed, our Lord Jesus took bread, and gave
thanks;
broke it, and gave it to his disciples, saying:
Take and eat; this is my body, given for you.
Do this for the remembrance of me.
Again, after supper, he took the cup, gave thanks, and gave it for all
to drink, saying:
This cup is the new covenant in my blood, shed for you and for all people
for the forgiveness of sin.
Do this for the remembrance of me.
(制定の言葉)
わたしがあなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りを捧げてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は,わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの
記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。(コリントの信徒への第一の手紙11:23-26)
LORD’S PRAYER
Our Father, who art in heaven,
hallowed be thy name,
thy kingdom come,
thy will be done,
on earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread;
and forgive us our trespasses,
as we forgive those who trespass against us;
and lead us not into temptation,
but deliver us from evil.
For thine is the kingdom, and the power, and the glory,
forever and ever. Amen
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくはみ名を崇めさせたまえ
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日もあたえたまえ
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく
我らの罪をも赦したまえ
我らをこころみに遭わせず、
悪より救い出したまえ
国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり
アーメン
(Communion)
The sacrament of Holy Communion is a Means of Grace from God to his people
through which the crucified and risen Christ is present and active to forgive,
to save, to unite, to give life, to comfort, and to strengthen for the
work to which He calls his people in all the world. All baptized and believing
Christians are welcome to share in the Lord’s table. Children who have
not received their first communion are welcome to come for a blessing.
聖歌(CANTICLE)
A post-communion canticle or an appropriate hymn or song may be sung.
[Jesus Remember Me]
Jesus remember me,
when you come into your Kingdom.
Jesus remember me,
when you come into your Kingdom.
祈り(PRAYER)
(P) God our creator, at this table you have satisfied us with the good
things of your grace. Fix our hearts on your mercy and truth, that our
lives may reflect your love for all creation; through Jesus Christ our
Lord.
(C) Amen
祝祷 (Benediction)
The Grace of the Lord Jesus Christ, the love of God, and the communion
of the Holy Spirit be with all of you.
(P) Go in peace. Serve the Lord.
(C) Thanks be to God.
祝祷 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊(せいれい)の交わりが, あなたがた一同と共にあるように。(コリントの信徒への第二の手紙13:13)
後奏 (Postlude)
「Here I am」
I, the Lord of sea and sky,
I have heard My people cry.
All who dwell in dark and sin,
My hand will save.
I who made the stars of night,
I will make their darkness bright.
Who will bear My light to them?
Whom shall I send?
Here I am Lord, Is it I, Lord?
I have heard You calling in the night.
I will go Lord, if You lead me.
I will hold Your people in my heart.
I, the Lord of snow and rain,
I have borne my people’s pain.
I have wept for love of them,
They turn away.
I will break their hearts of stone,
Give them hearts for love alone.
I will speak My word to them
Whom shall I send?
Here I am Lord, Is it I, Lord?
I have heard You calling in the night.
I will go Lord, if You lead me.
I will hold Your people in my heart.
I, the Lord of wind and flame
I will tend the poor and lame.
I will set a feast for them,
My hand will save
Finest bread I will provide,
Till their hearts be satisfied.
I will give My life to them,
Whom shall I send?
Here I am Lord, Is it I, Lord?
I have heard You calling in the night.
I will go Lord, if You lead me.
I will hold Your people in my heart.
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