日 時 2026年10月18日(日)午前10時30分~
礼 拝 式 次 第
前奏 (Prelude)
讃美歌23番
1
来る朝ごとに あさひとともに
神の光を 心に受けて
愛のみむねを あらたにさとる
2
来る朝ごとに 罪をきよむる
恵みのつゆは あめよりくだり
神のさちをぞ あらたにそうる
3
来る朝ごとに 業(わざ)と言葉を
きよめ分かちて 神にささげば
ささぐる宝 いやましたまわん
4
来る朝ごとに とるわがつとめ
人を愛して おのれにかたば
神に近づく 道とこそなれ
5
来る朝ごとに 祈れるごとく
歩み正しく まさみち進み
きよき休みに いらしめたまえ
アーメン
BRIEF ORDER FOR CONFESSION AND FORGIVENESS
(P) In the name of the Father, and of the + Son, and of the Holy Spirit.
(C) Amen
(P) God, whose love is everlasting, welcomes sinners to the table of mercy.
Let us confess our sin, confident in God’s forgiveness.
Silence for reflection and self-examination.
(P) Gracious God,
(C) Have mercy on us.
In your gracious compassion forgive us our sins, both known and unknown,
things done and left undone.
Uphold us by your Spirit so that we may serve you in newness of life, to
the honor and glory of your holy name, through Jesus Christ our Lord. Amen.
(P) Since we are justified by God’s grace through faith,
We have peace with God through our Lord Jesus Christ.
Almighty God has mercy on you, forgives you all your sins,
And bring you to life everlasting. Amen
Prayer of the Day(今日の祈り)
Bible Reading (聖書の個所)ルカによる福音書12章1節から12節
とかくするうちに、数えきれないほどの(何千という)群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す(認める)者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す(認める)。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う(否定する)者は、神の天使たちの前で知らないと言われる(否定される)。人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜(ぼうとく)する者は赦されない。会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
(注)
・神の国(天の国):旧・新約聖書を貫く信仰の基本理念です。誤解されているような死後に行く「天国」のことではないのです。
●神様の全き支配のことです。神様が人間の心と社会の隅々にまで真に神様として崇められ、あらゆる価値の基準とされること、それを通して正義と平和の秩序が実現されることです。旧約聖書は神の国の到来を待ち望むイスラエルの信仰を書き記したものです。神様は自分たちをエジプト人の支配から救い出し、砂漠を経て約束の地へ導かれたのです。ご自分に頼る者を決して見捨てられないのです。どのような地上の力にも勝っておられるのです。信頼するに値するお方なのです。イスラエルは異国の支配下で弾圧され、分断され、捕囚の地に連れていかれたのです。その時も、神様は常に自分たちと共におられ、民の身の上を思い,心を痛められたのです。イスラエルはこの神様がいつの日か、必ず自分たちを解放して下さることを信じたのです。イエス様はこの「神の国」を福音(良い知らせ)として宣教されたのです。
・イエス様は「山上の説教」で次のように言われました。
■だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国(神様の支配)と神の義(神様の正義)を求めなさい。そうすれば、これらのもの(生活に必要な物)はみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6:31-34)
・ファリサイ派の人々:ユダヤ教の律法を生活の隅々に適用し、厳格に守ったのです。しかし、それは偽善だったのです。人々に見せ、信仰を誇るために行っていたからです。イエス様は律法学者たちとこれらの人に天罰を宣告されたのです。マタイ23:1-36、ルカ11:37-54をお読み下さい。
・律法学者たち:律法を専門的に研究し、解釈して民衆に教える教師です。優れた学者たちはたくさんの弟子を持ち、最高法院の議員などの社会的に尊敬される地位を得ていたのです。学者の多くはファリサイ派に属していました。律法主義(教条主義)に執着(しゅうちゃく)して、イエス様と鋭く対立したのです。
・パン種(イースト):酵母のことです。ファリサイ派の人々の「教え」を表しています。そこには偽善と腐敗が隠されているのです。
・恐るべき方:神様のことです。
・地獄(ゲヘナ):元々はエルサレム近くの谷の名前でした。過去にはここで焼き尽くす捧げ物として「人間」が捧げられたのです。エレミヤ書19:4-6を参照して下さい。その後、ごみの焼却場として使われたのです。「永遠の刑罰」を与える場所の名前となったのです。この「第二の死」についてはヨハネの黙示録21:8に記述されています。
・1アサリオン:1デナリオン通貨(労働者の1日の賃金)の16分の1に相当します。8000円の賃金であれば500円です。五羽の雀は二アサリオン(1000円)で売られています。一羽は200円です。新共同訳聖書巻末の通貨表に記載されています。
・人の子:イエス様はご自身について次のように定義しておられます。
① 預言者(エゼキエル書2:1-3)
② 裁き主(ダニエル書7:13-14)
③ 一般的な人間
・聖霊を冒涜する者は赦されない:神様はイエス様が昇天された後に聖霊様を送られました。聖霊様を拒否する人々には「救い」の機会がないのです。執(と)り成して下さる方がもうおられないからです。
・聖句の入った小箱:ユダヤ人の男性は祈りの時に額と左腕に聖句の入った小さな四角の皮の箱を巻き付けたのです。出エジプト記13:9、16を参照して下さい。
・衣の房:ユダヤ人の男性が外套に付けなければならない飾り房のことです。民数記15:37-41をお読み下さい。
・主の祈り:イエス様が弟子たちに教えられた祈りです。「アブラハム、イサク、ヤコブの神」のようなユダヤ教に用いられる言葉もキリスト信仰における「イエス様の御名を通して」という表現も見られないのです。すべての人に開かれた「普遍的な祈り」になっているのです。困難に遭遇している人々を今も励ましているのです。
■天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇(あが)められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧(かて)を今日与えてください。わたしたちの負い目(負債)を赦してください、/わたしたちも自分に負い目(負債)のある人(人々)を/赦しましたように。わたしたちを誘惑(試練)に遭(あ)わせず、/悪い者から救ってください。」
(マタイ6:9-13)
●祈る順序が重要なのです。
(メッセージの要旨)
*イエス様は「何よりもまず、神の国(神様の支配)と神の義(神様の正義)を求めなさい」と言われました。神様が命じられた「十戒」の冒頭の言葉「わたしをおいてほかに神があってはならない」を彷彿(ほうふつ)とさせるのです(出エジプト記20:3)。ファリサイ派の人々や律法学者たち、これらの人に同調する人々にとって「神の国」の到来は福音ではないのです。「悪い知らせ」なのです。神様に自分たちの権力、社会的地位、財産などをお返ししなければならないからです。イエス様が宣教された「神の国」はこの世に対立をもたらすのです。イエス様はファリサイ派の人々のパン種(教え)に注意しなさいと言われました。これらの人は民衆にモーセの律法や慣習(言い伝え)の厳格な履行を求めるのです。ところが、自分たちは実行しないのです。「神様の御心」を率先して実践するべき人々が偽善者になっているのです。ローマの支配に協力し、自国の民衆を苦しめているのです。福音の意味は社会的、経済的、政治的背景を踏まえて理解される必要があるのです。イエス様はファリサイ派の人々や律法学者たちの偽善や腐敗を告発して「悔い改め」を迫られたのです。しかし、激しい反発を受けられたのです。後に、ローマの総督ポンティオ・ピラトによって政治犯として十字架上で処刑されるのです。しかし、神様は三日目にイエス様を復活させられるのです。イエス様の宣教の正しさを証明されるのです。イエス様はご自身に従う弟子たちが権力者たちから迫害されることをご存じなのです。聖霊様が苦難にある人々を助け、支えて下さるのです。
*ファリサイ派の人々や律法学者たちは信仰心の篤(あつ)さを誇るために聖句の入った小箱を大きくし、衣服の房を長くするのです。宴会の席では上座(じょうざ)、会堂では上席(じょうせき)に座り、広場では挨拶され、先生と呼ばれることを好んだのです。人々に仕えるのではなく、民衆の上に君臨しているのです。イエス様はこれらの人の偽善を厳しく非難されたのです。ただ、日本語訳では表現が和らげられて「あなたがた偽善者(たち)は不幸だ」になっているのです
(マタイ23:13)。原文の通り「あなたがた偽善者たちに災い(天罰)あれ」と訳すべきなのです。前者のような訳ではイエス様の憤(いきどお)りや怒りが十分に反映されないのです。イエス様の「愛と赦し」を強調するあまり、「不正や偽善」に対する姿勢が曖昧(あいまい)にされているのです。「イエス様の実像」は正確に表現されるべきなのです。イエス様は「祈りの家」であるエルサレム神殿を強盗の巣にしている人々-神様の御心(正義と愛)を軽んじる指導者たちと彼らに同調する人々-を断じて赦されないのです(マルコ11:15-18)。一方、弟子たちの傲慢(ごうまん)を戒められたのです。「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と言われたのです(マタイ18:3-4)。新約聖書は「イエス様の実像」を伝えているのです。恣意的(しいてき)に変容することは大きな罪なのです。「天の国」においてはこの世の評価が再評価されるのです。
*ファリサイ派の人々や律法学者たちは自分たちが「神の国」(天の国)に入らないだけではないのです。入ろうとする人々を妨げているのです。これらの人は長老たちの言い伝えを重視し、律法に基づく本来のユダヤ教を変質させているのです。キリストの信徒たちに敵対するだけでなく、ユダヤ教へ改宗した人々を自分たち以上に悪い「地獄の子」に育てているのです。人々の賞賛を得るために規定以上に献金しているのです。ところが、最も重要な戒め-正義を重んじ、慈悲深く、誠実であること-をおろそかにしているのです。彼らのすることはすべて人々に見せるためなのです。外側は篤い信仰心を装(よそお)うのですが、内側は強欲と放縦(ほうじゅう)で満ちているのです。これらの人は白く塗った墓に似ているのです。外側は美しく見えるのですが、内側には死者の骨やあらゆる汚れた物が収納されているのです。外側は正しい人のように見せながら、内側は偽善と不法で溢(あふ)れているのです。預言者たちのある者を殺し、十字架につけ、会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害しているのです。イエス様はこれらの人を救うために何度も集めようとされたのです(マタイ23:13-37)。イエス様のご遺体を埋葬(まいそう)した善良な議員アリマタヤのヨセフ、かつて質問したことがあるファリサイ派の議員ニコデモ(ヨハネ19:38-42)、「神の国」から遠くないと言われた律法学者(マルコ12:28-34)などを除いてほとんどの指導者がイエス様を拒否したのです。イエス様はこれらの人に「地獄の罰」を宣告されたのです。
*イエス様はファリサイ派の人々や律法学者たちの権威と社会的信用を失墜(しっつい)させているのです。これらの人はイエス様を何とかして殺そうと画策しているのです。イエス様の「生き方」に倣(なら)って歩む弟子たちが迫害されることは必然なのです。イエス様はすでにご自身に従おうとする人々に覚悟を求めておられるのです。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人に「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕(まくら)する所もない」、「主よ、まず、父を葬(ほうむ)りに行かせてください」と言う人に「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」、「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください」と言う人には「鋤(すき)に手をかけてから後ろを顧(かえり)みる者は、神の国にふさわしくない」と答えられたのです(ルカ9:57-62)。さらに、キリスト信仰を誤解している人々に「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」と言って、立場を鮮明にされたのです(ルカ12:51)。神様の支配と人間の支配は両立しないのです。弟子たちは「神の国」を堂々と証ししているのです。ファリサイ派の人々や律法学者たちの権威が揺(ゆ)らぐのです。これらの人は既得権益を守るために手段を選ばないのです。弟子たちを徹底的に弾圧するのです(使徒5:17-33)。キリスト信仰に生きることは容易ではないのです。
*キリスト教はローマ皇帝コンスタンティヌスによって公認されたのです(313年)。それは祝福すべきことです。一世紀半ばから続いたキリストの信徒たちへの残酷行為が終わったからです。ところが、皇帝は自分を主教と称し、軍事力と政治的支配によってキリスト教の宣教を推し進めたのです。キリスト信仰に対する誤解はその後も受け継がれて行くのです。十字軍の遠征、異端審問、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)、原住民の教化、人間の奴隷化などへの道を開いたのです。聖書やイエス様のお言葉が正しく伝えられていないのです。信仰の指導者と呼ばれる人々が権力者や金持ちたちに仕えているのです。貧しい人々や虐げられた人々と共に歩まないのです。信徒たちに「愛と赦し」を勧めているのです。ところが、「正義や公平」の重要性をほとんど語らないのです。穏やかな「イエス様像」によって「神の国」の真理-人間の全的な救い-が歪(ゆが)められているのです。福音が個人の「罪からの救い」に縮小されているのです。信仰心を誇るために「長い祈り」が行われ、聖書の解釈や神学理論が必要以上に披露(ひろう)されているのです。キリスト信仰が信徒たちの間で完結しているのです。イエス様はご生涯を通して「神の国」を証しされたのです。「神様と隣人」を愛して十字架上で処刑されたのです。ところが、神様はイエス様を復活させられたのです。信仰の原点はここにあるのです。福音に与(あずか)った人々に「神様の御心」に反する現状を変革する責務があるのです。労苦と試練は避けられないのです。聖霊様が導いて下さるのです。
讃美歌30番
1・あさかぜしずかにふきて
小鳥もめさむるとき
きよけき朝よりきよく
うかぶは神のおもい
2・ゆかしき神のおもいに
とけゆくわが心は
つゆけき朝のいぶきに
いきづく野べの花か
3・かがやくとこ世のあした
わがたまめさむるとき
この世の朝よりきよく
あおぎみん神のみかお
APOSTLES’ CREED
I believe in God, the Father almighty, creator of heaven and earth.
I believe in Jesus Christ, his only Son, our Lord.
He was conceived by the power of the Holy Spirit and born of the Virgin
Mary.
He suffered under (Caiaphas and) Pontius Pilate, was crucified, died, and
was buried;
He descended into hell.
On the third day he rose again.
He ascended into heaven, and is seated at the right hand of the Father.
He will come again to judge the living and the dead.
I believe in the Holy Spirit,
the holy catholic Church,
the communion of saints,
the forgiveness of sins,
the resurrection of the body,
and the life everlasting. Amen.
(使徒信条)
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、(カイアファと)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り、三日目に死人のうちより蘇り,天にのぼり全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。 アーメン
Benediction(祝福の祈り)
The Grace of the Lord Jesus Christ, the love of God, and the communion
of the Holy Spirit be with all of you.
(P) Go in peace. Serve the Lord.
(C) Thanks be to God.
Postlude(後奏)
讃美歌540番
みめぐみ あふるる
父 みこ みたまの
ひとりの みかみに
みさかえ つきざれ
アーメン
(いずれの曲もインターネットで曲名を入力すれば簡単に聴くことが出来ます。)