Bible Reading (聖書の個所) ルカによる福音書19章37節から44節
イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分(たち)の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前(あなたのような罪深い者であって)も平和への道(備え)をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それ(エルサレムの陥落)がお前(あなた)には見えない(それらがあなたの目から隠されている)。やがて時が来て、敵が周りに堡塁(ほうるい)を築き、お前(あなた)を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前(あなた)とそこにいるお前(あなた)の子らを地にたたきつけ、お前(あなた)の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである(イエス様が神様の訪れであったことを認めなかったからである)。」
(注)
・オリーブ山:エルサレムから東へ約3.2㎞のところにあります。
・ファリサイ派:律法を日常生活に厳格に適用したユダヤ教の一派です。ただ、彼らは言うだけでそれを実行しなかったのです。イエス様に律法学者たちと共に敵対したのです。
・石が叫びだす:預言的なお言葉です。「救い」(解放)を求める人々の声は止むことがないのです。ハバクク書2:11を併せてお読み下さい。
・平和への道をわきまえていたなら:キリスト信仰において「神様の愛」は強調されるのです。ところが、正義の重要性についてほとんど語られていないのです。正義を確立することは平和の実現にとって必須の要件なのです。
■主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子(子供)たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」(創世記18:17-19)
●約束したこと:シナイ山における十戒などの契約のことを予期させるのです。出エジプト記20-24に記述されています。
■わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます。主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。正義は御前を行き/主の進まれる道を備えます。(詩編85:9-14)
■それゆえ、主は恵みを与えようとして/あなたたちを待ち/それゆえ、主は憐れみを与えようとして/立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。(イザヤ書30:18)
・エレミヤの預言:神様は悪に満ちたエルサレムに裁きを下されるのです。
■主からエレミヤに臨んだ言葉。主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たち(あなたがた)の道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たち(あなたがた)をこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たち(あたなたが)の道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦(かふ)を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。そうすれば、わたしはお前たち(あなたがた)を先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。しかし見よ、お前たち(あなたがた)はこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。盗み、殺し、姦淫(かんいん)し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たち(あなたがた)はあらゆる忌(い)むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たち(あなたがた)の目に強盗の巣窟(そうくつ)と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。シロのわたしの聖所に行ってみよ。かつてわたしはそこにわたしの名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、わたしがそれをどのようにしたかを見るがよい。(エレミヤ書7:1-12)
●シロ:イスラエルは南北の王国に分裂していました。北王国(イスラエル)における信仰のセンターです。紀元前11世紀頃、ペリシテ人たちによって破壊されたのです。エレミヤ書26:6-9をお読み下さい。一方、南王国(ユダ)における信仰の中心地はエルサレムです。
・エルサレムの陥落:二回ありました。バビロニア王は紀元前587/586年にエルサレムを武力で制圧し、民の中でも特に技術者たちを大都市バビロン(現在のイラク)へ強制移住させたのです。いわゆる「バビロン捕囚」です。もう一つはイエス様が処刑され、三日目に天に昇られた後に起こりました。紀元後70年にローマ軍はエルサレム(神殿)を完全に破壊したのです。
・ミディアンの日:士師ギデオンが神様の託宣を受けて敵のミディアン人を打ち破ったことです。士師記7:15-25を参照して下さい。
・ホサナ:「今、お救い下さい」と言う意味です。
・UNICEF: 国際連合児童基金(United Nations Children's Fund)です。すべての子どもの権利、特に最も不利な立場にある子どもたちの権利を実現することを目指し、約190の国と地域で活動をしています。
(メッセージの要旨)
*平和への道とはこの世において正義を実現することです。神様はアブラハムを通して、預言者たちによって正義の重要性を語られたのです。平和を考える上で、預言者エレミヤの言葉は真に示唆(しさ)に富んでいます。エレミヤが召命を受けた時はイスラエルが南北に分裂している時代です。ヨシャが南王国ユダの王でした。人々は悪い道に走っていました。他の神々にひれ伏し、仕えていたのです。エレミヤは「北からの災い」が迫っていることを預言したのです。人々に「正義の神様」に立ち帰り、異教の神バアルに従うことを止めるように呼び掛けたのです。ところが、人々は悔い改めるどころかエレミヤに激しく反発したのです。エレミヤは命の危険に晒(さら)されたのです。エレミヤは神様に逆らう者たちの道が栄え、欺(あざむ)く者たちが安穏(あんのん)に暮らしている現実に苦悩したのです。一方、バビロニアの王ネブカドレツアルを「神様の僕」と呼んだのです。預言者としての資質を問われることになったのです。ところが、神様はエレミヤの預言通りこの異邦人の王を用いてエルサレムと神殿を破壊されたのです。「バビロン捕囚」という形でユダを罰せられたのです。「神様の御心」は明白なのです。権力者たちが民衆を抑圧し、搾取する所に平和はないのです。イエス様は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言って宣教を開始されたのです(マルコ1:15)。神殿政治を担う人々は既得権益に執着し、エルサレム神殿を強盗の巣にしているのです。エレミヤの時代と同じ様な厳しい天罰が後に下されるのです。
*平和の内実を保証する正義はキリスト信仰の根本理念なのです。旧約聖書はその事実を伝えているのです。南王国(ユダ)は外国の勢力(アッシリア)に脅かされていました。預言者イザヤはユダを救う王(ヒゼキヤ)の誕生を預言して「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。・・彼らの負う軛(くびき)、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった」と言ったのです(イザヤ書9:1-3)。ヒゼキヤは紀元前715年に王の座に就(つ)いたのです。神様への信頼は篤(あつ)く、モーセの戒めを守り、何を計画しても成功したのです。神様はセンナケリブの軍18万5千人を撃たれたのです(列王記下18:5-8)イザヤの預言はローマの支配下にあったユダヤにおいても実現したのです。イエス様が「救い主」として誕生されたのです。人々はイエス様のエルサレム入城に歓喜して「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。我らの父ダビデの来(きた)るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んだのです(マルコ11:9-10)。神様の主権は人間の生と死、社会の隅々に及ぶのです。イエス様によって正義と恵の業が行われているのです。平和の大切さが宣言されたのです。「神の国」が到来しているのです。人々は今来るべき世界を部分的に見ているのです。しかるべき時に完成するのです。キリスト信仰とは「神の国」-神様の支配-の到来を信じることです。キリストの信徒たちは「神様の御心」の実現に全力を注ぐのです。
*イエス様はエルサレム入城前に都が見えた時、将来起こるであろう筆舌に尽くし難い悲惨な出来事を予見して涙を流されたのです。短いご生涯の中で涙を流されたことが二回あります。愛する兄弟ラザロの死に際して「死が人間を支配していること」に憤(いきどお)られた時(ヨハネ11:28-37)と今回です。これまでも多くの預言者がエルサレムの不信仰と腐敗に警鐘(けいしょう)を鳴らしたのです。しかし、祭司長、律法学者、民の指導者たちと彼らに同調する人々は警告に耳を傾けなかったのです。神様は新しい天地創造を決断されたのです。終わりの時に先立って、御子イエス様を遣(つか)わされたのです。それでもこれらの人が悔い改めることはなかったのです。エレミヤの時代と変わらないのです(エレミヤ書6:6-14)。エルサレムには泉の水が湧くように悪が蔓延(はびこ)っているのです。身分の低い者から高い者に至るまで皆、不正な利益をむさぼっているのです。預言者から祭司に至るまで皆、相手を欺(あざむ)いて取引しているのです。幼子、若者、年寄り、長老たち、男も女にも苦難と死が近づいているのです。平和がないのに「平和、平和」と言っているのです。イエス様はエルサレムが罰せられることを確信されたのです。エルサレムの陥落を心から悲しまれたのです。入城した後には神殿の腐敗を実力行使によって告発されたのです。境内で売り買いしていた人々を追い出し、「あなたたちは、わたしの家を強盗の巣にした」と激しく非難されたのです(マルコ11:17)。イエス様は命を狙われることになったのです。
*今日8月9日は長崎原爆の日、15日は敗戦記念日です。先の大戦を振り返り、犠牲になられた人々を追悼(ついとう)し、深い反省の上に立ってこれらの日を迎えるのです。多くの人々の命を奪った戦争が終わったからだけではないのです。悲惨な戦争を引き起こした軍国主義者(権力者)たちが敗北した日だからです。平和を求めた人々が勝利し、正義のために迫害された無数の人々の正しさが証明された日なのです。自国の利益を最優先し、武力によって他国の領土を侵略し、人々を抑圧することは「神様の御心」に反しているのです。神様がアブラハムに言われたように、子々孫々に至るまで侵略戦争の誤りを伝えていかなければならないのです。戦争の悲劇は憎しみとなって後代にまで続くのです。キリストの信徒たちは平和に無関心であってはならないのです。二度と戦争を起こさないためにも過去の過ちと真剣に向き合うのです。不断の努力によって平和を実現するのです。これは個々人の選択の問題ではないのです。キリスト信仰に生きる人々が果たすべき使命なのです。すでに地球を何回も破壊するほどの核兵器が存在しているのです。紛争を解決する手段として相変わらず武力が用いられているのです。イエス様は「剣を取るものは皆、剣で滅びる」と言われたのです(マタイ26:52)。思想、信条に拘泥(こうでい)することなく平和を希求する人々と連帯するのです。非暴力的に核兵器廃絶を訴え、米軍基地の縮小を求めて行くのです。平和への道のりが果てしなく遠いことも事実なのです。イエス様が共にいて励まし、支えて下さるのです。
*キリストの信徒たちは神様が天と地の支配者であることを信じているのです。何よりも先ず「神の国」と「神の義」(神様の正義)を求めるのです(マタイ6:23)。イエス様が教えられた最も重要な戒め-神様と隣人を愛すること-を日々実践しているのです。戦後81年を経ても世界のあちらこちら-特にアフリカ、中東、中米の貧しい国々-において内戦や紛争が頻発(ひんぱつ)しているのです。UNICEF
のニュースレター(7月1日)によれば「中東地域で100日以上続いている軍事攻撃や暴力により、この地域に暮らす何百万もの子どもが身体的な危険や心理的な苦痛にさらされている」のです。子どもを含む最もぜい弱な人々に対し、水と衛生分野に重点を置いた緊急支援が行われているのです。平和は正義によって造り出されるのです(イザヤ書32:17)。正義がこの世に遍(あまね)く及ぶことによって世界に平和が確立されるのです。キリスト信仰において「神様の愛と赦し」が強調されるのです。「神様の正義」-真の平和-に言及されることが少ないのです。搾取・支配・権力などの政治的な言葉が恣意的(しいてき)に避けられているのです。旧・新約聖書が伝える信仰理解と明らかに異なっているのです。当時、ローマが武力によってイスラエルを支配していたのです。イエス様はこのような政治状況において「神の国」の到来を証しされたのです。今日においても指導者たちが傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に権力を振るっているのです。偽善者たちを断じて許してはならないのです。神様が厳しく罰して下さることを切に祈るのです。