Bible Reading (聖書の個所)使徒言行録6章1節から15節及び7章51節から60節
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない(帳簿を付けるのは正しくない)。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。
さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。そこで、彼らは人々を唆(そそのか)して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。
・・・・・(ステファノの説教)
かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに(天使たちに任命された者のように律法を受けたのに)、それ(律法)を守りませんでした。」
人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
(注)
・ギリシヤ語を話すユダヤ人:外国に住んでいたユダヤ人、すなわちディアスプラです。彼らはヘブライ語をほとんど話せなかったのです。文化や生活習慣の違いもあって、もともとエルサレムに住んでいるユダヤ人たちとの間に確執があったのです。
・評判の良い七人:ステファノ、フィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、二コラオはすべてギリシヤ名です。二コラオはアンティオキア出身の改宗者(異教徒からユダヤ教へ改宗者)として紹介されています。他の六人はユダヤ人の家に生まれたことを推測させるのです。以後、使徒言行録にステファノとフィリポ以外は登場しないのです。
・アンティオキア:シリアにある重要な都市です。現在はトルコ領です。
・手を置く:神様が命じられた職務に任じる儀式です。民数記27:18-20を参照して下さい。
・ステファノを告発する人々:アフリカにあるキレネ(リビア)とアレクサンドリア(エジプト)の出身者でいわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、また小アジア(トルコ)にあるキリキア州とアジア州の出身者たちです。彼らはエルサレムに移って来たディアスポラ(かつて外国に住んでいたユダヤ人)あるいはユダヤ教への改宗者です。律法と伝統を厳格に遵守(じゅんしゅ)しているのです。
・解放された奴隷の会堂:アフリカのキレネやアレクサンドリア出身の解放された奴隷たちが属するユダヤ教の会堂です。ただ、「奴隷の定義」については注意が必要です。
・ガザ:エルサレムから西へ77kmです。
・アゾト:地中海沿岸の町「ガザ」の北35kmにあります。
・カイサリア:ローマ帝国の総督府がありました。異邦人が多く住む要衝の地です。
・ガマリエルの言葉:キリスト信仰に関して指導者たちに次のように助言しています。「・・あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ」(使徒5:38-39)。
・ステファノの説教:ユダヤ人たちの反抗の歴史を旧約聖書によって証明しています。使徒言行録7:1-50です。機会がありましたらぜひお読み下さい。
(メッセージの要旨)
*聖霊様に導かれたステファノは旧約聖書に従ってイスラエルの歴史を振り返ったのです。歴代のユダヤ人たちは神様が召命されたモーセや他の預言者たちに反抗したのです。カイアファに代表される指導者たちも神様の独り子イエス様を処刑させたのです。エルサレムにおいて前代未聞のことが起こっているのです。使徒たちやステファノのような普通のユダヤ人が大祭司たちを罪人として告発しているのです。聖霊様はステファノに「力」を与えられたのです。この人は処刑されることを覚悟してイエス・キリストを証ししたのです。最初の殉教者(じゅんきょうしゃ)となったのです。エルサレムの教会への迫害は続くのです。しかし、激しい弾圧が宣教への新たな扉を開くことになるのです。使徒たちやステファノによる生命を賭(と)した宣教活動は受け継がれ、ユダヤ教の枠(わく)を越えてローマ帝国内に広がっているのです。キリスト信仰がすべての異邦人へ届けられることになるのです。フィリポがサマリアの町-ユダヤ人が交際を拒否した人々が住む町―に下って行き福音を告げ知らせたのです。ペトロとヨハネがそこに派遣されたのです。二人がサマリアの信徒たちに手を置くとこれらの人に聖霊様が降ったのです。フィリポはガザへ向かう途中でエチオピア(アフリカ)の高官に出会い、洗礼を授けたのです。地中海沿岸の町アゾトなどを巡りながらカイサリアまで宣教したのです。イエス様のお言葉「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」が実現しているのです(使徒1:8)。
*聖霊様の降臨(五旬祭=ペンテコステ)の後、神様は小さな群れを祝福されました。信徒の数は着実に増えたのです。信徒たちの中には一人も貧しい人がいなかったのです。土地や家を持っている人が皆、それらを売っては代金を持ち寄り使徒たちの足もとに置いたのです。集まったお金は必要に応じておのおのに分配されました(使徒4:34-35)。しかし、組織が拡大するにつれて様々な問題が起こったのです。アナニヤとサフィラの夫婦が献金の額を偽って申告したのです。ペトロは「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売ってもその代金は自分の思いどおりになったのではないか。・・あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と非難したのです。アナニヤは直ちに息が絶えたのです。すぐ後に、妻サフィラも死んで夫のそばに葬られたのです。ギリシヤ語を話すユダヤ人たちからヘブライ語を話すユダヤ人たちに苦情が出たのです。ヘブライ語を話すユダヤ人たちが日々の分配においてギリシヤ語を話すやもめたちを軽んじていたからです。女性の自立を認めないユダヤ教の伝統を順守するユダヤ人たちが彼女たちの受け取り分(金額)を少なくしていたのです。理想的な信仰共同体を構築することの難しさが明らかになったのです。使徒たちは決断したのです。自分たちは危険を伴う宣教活動に専念するのです。“霊”と知恵に満ちたギリシヤ語を話す七人に貧しい人々の世話をさせるのです。果たして、神様の言葉はますます広まったのです。弟子の数はエルサレムで非常に増え、ユダヤ教の祭司も大勢この信仰に入ったのです。
*大祭司や議員たちはイエス様を処刑させた後、使徒たちにも迫害の手を伸ばしたのです。彼らを捕らえ、最高法院で取り調べを行ったのです。使徒たちは逆にイエス様の処刑に関する指導者たちの責任を追及したのです。大祭司たちは使徒たちを殺そうとしたのですが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルの言葉を受け入れて鞭打ちのみで釈放したのです。ユダヤ教の影響下にあった祭司たちにもキリスト信仰が浸透しているのです。指導者たちは危機感を持ったのです。恵みと力に満ち、不思議な業としるしを行っていたステファノを標的にしたのです。民衆、長老たち、律法学者たちを扇動してステファノを逮捕させたのです。ところが、尋問の席でステファノは旧約聖書に基づいて指導者たちの罪を告発しているのです。例を挙げています。エジプトの国から解放された民は堕落し、金の子牛を造り礼拝したのです。神様は偶像礼拝に参加した三千人の民を打たれたのです。イスラエルの民を「かたくな民」と呼ばれたのです(出エジプト記33:3,5)。偉大な預言者イザヤは「イスラエルの民は背いて聖なる霊を悲しませたので、神様の敵となった」と明言しているのです(イザヤ書63:10)。預言者エレミヤは「彼ら(イスラエルの民)の耳は無割礼で・・主の言葉が彼らに臨んでもそれを侮(あなど)り、受け入れようとしない」と非難したのです(エレミヤ書6:10)。これらを聞いて人々は激しく怒ったのです。ステファノに向かって一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げて殺したのです。
*イエス様は最高法院で大祭司に「ご自身がメシアであること」、「人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来ること」を宣言されたのです(マルコ14:62)。使徒たちも「神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために,この方(イエス様)を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました」と証言したのです(使徒5:31)。聖霊様に満たされたステファノは「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言ったのです。キリスト信仰がユダヤ教との深刻な対立を招いているのです。指導者たちはイエス様を処刑させたのです。使徒たちをも迫害するのです。ペトロとヨハネは逮捕され最高法院で二回も取り調べを受けたのです。しかし、ステファノの過激な証しは指導者たちの怒りを増幅させたのです。処刑後に、エルサレムの教会に対して容赦のない迫害を実行したのです。使徒たちの他は皆ユダヤとサマリアの地方に逃げたのです。ヘブライ語を話す使徒たちはユダヤ教の慣習を守っていたこともあり迫害を免れたのです。ステファノの遺体を埋葬(まいそう)することは危険でした。犯罪人の埋葬は律法で禁じられていたからです。ステファノの死を悲しんだ信仰心の篤い人々が勇気を奮って遺体を埋葬したのです。イエス様のご遺体を埋葬した議員のアリマタヤのヨセフやニコデモを想起させるのです(ヨハネ19:38-42)。一方、ステファノの殺害に賛成していたサウロ(後のパウロ)は家から家へと押し入って教会を荒らしていたのです。男女を問わずキリストの信徒たちを牢に送っていたのです。
*初代教会は律法を厳格に守り寡婦(かふ)や孤児などの貧しい人々を大切にし、食べ物や日用品を必要に応じて分配していたのです(申命記27:19)。ところが、仲間が増えるに従って信徒たちの間に不満が生じたのです。公平を維持するためにギリシヤ語に堪能な世話役たちが新たに任命されたのです。ステファノはイエス様のメッセージがユダヤ教への挑戦となることを理解した弟子の一人です。律法と伝統に固執する人々との論争内容は記録されていませんが、ステファノへの非難の言葉から対立点を知ることが出来るのです。ステファノによればイエス様が生と死と復活を通して宣教された「神の国」-神様の支配-の到来は大祭司による神様への仲介や律法に定められた捧げ物と儀式を不必要にしたのです。「腐敗した神殿は崩壊する」と言われたイエス様のお言葉は旧約聖書によって証明されているのです。神殿政治の中枢を担う大祭司たちや律法を厳格に遵守するサウロ(パウロ)のような人々はステファノを神様とモーセへの冒涜者(ぼうとくしゃ)として断罪したのです。ステファノは指導者たちを説得することや自分を弁護することはしなかったのです。指導者たちの罪を徹底して告発したのです。使徒たちが聖霊様に導かれて大胆にキリスト信仰を語ったように、ステファノは聖霊様に満たされて証しして殉教したのです。しかし、迫害によっても人々からキリスト信仰を奪うことは出来なかったのです。フィリポは異邦人宣教の先駆けであり、回心したパウロが発展させるのです。「神の国」の福音は今日においても連綿と受け継がれているのです。