「聖霊様の降臨」

Bible Reading (聖書の個所)使徒言行録2章1節からから36節

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎(火)のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人(たち)が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。

・・(ヨエルの預言)・・

イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。ダビデは、イエスについてこう言っています。

・・(ダビデの言葉)・・

兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、/『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない』/と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで(詩編110:1)。」』だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」

(注)

・ペトロ:使徒の中でも中心的役割を果たした人物です。ペトロは漁師でした。律法についての学識もありませんでした。しかし、聖霊様がペトロに勇気と力を与え、必要なことを語らせられたのです。旧約聖書(モーセ五書)が伝える神様のお言葉や油注がれたダビデの言葉はユダヤ人たちを緊張させたのです。ペトロは神様とイエス様と聖霊様の関係-神学的に言えば「三位一体」の関係-を丁寧(ていねい)に説明したのです。

●当初の12使徒は次の通りです。

■イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らは御もとに来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、宣教に遣わし、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロ(岩)という名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。(マルコ3:13-19)

・五旬祭(七週祭):ユダヤ教の三大祭り(過越祭、仮庵祭、七週祭)の一つです。過越祭から数えて50日目に祝う春の収穫祭です。レビ記23:15-21をご一読下さい。キリスト教では七週祭を聖霊降臨日「ペンテコステ(ギリシャ語の『五十』を表す言葉)」として記念しているのです。キリスト教がユダヤ教と深く関わっていることを示しています。

・風:神様の顕現(列王記上19:11、イザヤ書66:15、エゼキエル書37:9-14)を示す言葉です。

・炎(火):神様の臨在を表しています。出エジプト記19:18、イザヤ書5:24、66:15-16をお読み下さい。

・地域と現在の国:パルティア、メディア、エラムはイラン、メソポタミアはほぼイラクとシリアです。カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリアはトルコ、キレネはアフリカのリビア、クレタ島はギリシャです。


・ディアスポラ:外国に住んでいるユダヤ人のことです。主要な祭りにはエルサレムへ巡礼したのです。

 

・ヨエルの預言:旧約聖書のヨエル書は紀元前800年から紀元前300年の間に編纂(へんさん)されたと言われています。

■神は言われる。終わりの時に(ペトロが原文の「その後」を「終わりの時に」へと変更)、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。(ヨエル書3:1-5)

・ダビデの言葉:

■わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる(忠実なる)者を/朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。(詩篇16:8-11)

●陰府(よみ):神様から遠ざかった死者たちの住まいのことです。

・使徒言行録:ルカによる福音書の続編(第二巻)です。

・テオフィロ:ルカを支えている人と推測されています。ルカ1:3を参照して下さい。

・初代教会の祈り:

●神様を讃える時は「栄光が、聖霊において、子を通して、父なる神に帰せられるように」、また、神様の祝福を求める時は「父なる神の祝福が、子を通して、聖霊において、あなたがたの上にあるように」と祈ったのです(百瀬文晃著「イエス・キリストを学ぶ」発行所サンパウロ、1993年p249)。キリスト信仰が日常生活を超越した「霊的な救い」として誤解されないための表現なのです。

・イエス様の誕生: 聖霊様が深く関わっています。

■すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。(ルカ1:30-35)

(メッセージの要旨)

*ペトロの説教はユダヤ人だけでなく、キリストの信徒たちにも分かり易い信仰の解説書となっています。聖霊様の降臨の背後にある「神様の御心」を知ることが大切なのです。使徒言行録は「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」で始まります。復活されたイエス様はご自身が生きていることを四十日にわたって示し、「神の国」について話されたのです。イエス様は弟子たちにも「神の国」の宣教を命じられたのです。「エルサレムを離れず、父の約束されたものを待ちなさい。(洗礼者)ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」、「あなたがたの上に聖霊が降ると力を受ける。エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われたのです。皆が見ている前で天に上げられたのです。キリストの信徒たちに使命が与えられたのです。百二十人ほどで構成される初代教会は母マリアやイエス様の兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていたのです(使徒1)。イエス様は再び地上に来られるのです。その時(新しい天地創造の完成)までは聖霊様が信徒たちを導かれるのです。便宜上、神様とイエス様と聖霊様が別々に表現されているのです。神様はイエス様を通して聖霊様と共に働いておられるのです。キリスト信仰はイエス様を通して、聖霊様に導かれ、神様に近づくことが出来る信仰なのです。

*初代教会は「復活の主」に会って信仰に燃えていました。「主の復活」を証しするために、イスカリオテのユダに代わってマティアを選出し組織を整えたのです。五旬祭の日に信徒たちが集まっていると、約束された聖霊様が一人一人の上に降(くだ)ったのです。巡礼に来ていた信仰篤いユダヤ人たち、ビジネスのために長期滞在しているぢディアスポラのユダヤ人たちは自国の言葉をエルサレムで聞いて驚いたのです。ユダヤ人たちはどこにいても日常生活の規範となる律法を厳格に守ったのです。旧約聖書にも精通していたのです。「激しい風のような音」や「炎(火)」の意味を直ちに理解したのです。意外なことが起こっているのです。神様がキリストの信徒たちと共におられることに戸惑ったのです。ガリラヤの人々は他のユダヤ人たちから律法を順守しない不信仰の民として蔑(さげす)まれていました。イエス様に信仰を褒(ほ)められたナタナエルも弟子として選ばれる前には「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ってイエス様を軽んじていたのです(ヨハネ1:43-51)。巡礼者の中には信徒たちを酒に酔った愚かなユダヤ人としてあざける人々もいたのです。イエス様の逮捕以来姿を隠していたペトロは「復活の主」に会い、聖霊様の降臨を経験し、「神の国」の福音の正しさを確信したのです。初代教会のリーダーとして人々を信仰へと導いたのです。ペトロは漁師でした。教育を受ける機会にも恵まれなかったのです。ところが、律法に精通している指導者たちにイエス・キリストを堂々と証ししたのです(使徒4:12-13)。

*ペトロはヨエル書を引用して聖霊様の降臨の意味を説明したのです。神様は不信仰なイスラエルを罰するためにいなごの大群を送られたのです。国土は荒廃し、民は深刻な飢饉に苦しんだのです。ヨエルはこのような時期に預言したのです。イスラエルの民が悔い改めて神様に立ち帰れば再び繁栄が訪れることを告げたのです。徴(しるし)として神様は大人だけでなく、息子や娘、若者、老人、奴隷にも聖霊様を注がれるのです。ヨエルは精霊様の降臨をイスラエルの民への恵みとして理解していました。後に、異邦人たちにも注がれることが明らかになるのです(使徒10:44-48)。「神の国」の福音はユダヤ人を含めてすべての民に届けられるのです。ペトロはヨエルの預言を「ペンテコステ」(ユダヤ教の七週祭)に適用したのです。しかも、ヨエル書にある「その後」を「終わりの時に」変更して引用しているのです。イエス様が再び来られる時(再臨)が近いことを強調するのです。ペトロの信仰理解によれば聖霊様の降臨はその「しるし」なのです。ユダヤ人たちは神様がダビデにされた約束「あなたの王国は・・とこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」を信じていました(サムエル記下7:16)。ペトロはダビデの言葉 によって「イエス様の復活」を根拠づけるのです。「彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない」のです。神様は聖霊様によってイエス様を誕生させられたのです。死後三日目に復活された主は神様の右におられるのです。約束された聖霊様を御父から受けて注いで下さっているのです。

*重要な出来事には聖霊様が働いておられるのです。イエス様の先駆けとして遣わされた洗礼者ヨハネは母エリザベトの胎内にいる時から聖霊様に満たされていました(ルカ1:15)。イエス様の受胎に関して、天使はマリアに「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と告げています(ルカ1:35)。聖霊様はヨハネの母エリザベト(ルカ1:41-45)、父ザカリア(ルカ1:67-79)、信仰篤いシメオン(ルカ2:25-35)を導かれたのです。神様は宣教活動を準備するためにヨハネから洗礼を受けて祈っておられるイエス様に聖霊様を注がれたのです。天が開け聖霊様は鳩のように目に見える形で降られたのです(ルカ3:21)。イエス様はナザレで宣教を開始されました。預言者イザヤのメッセージに言及して「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人(人々)に福音を告げ知らせるためにわたしに油を注がれたからである。・・」が実現したと言われたのです(ルカ4:18)。後に「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがはなしたことをことごとく思い起こさせて下さる」と予告されたのです(ヨハネ14:25-26)。ペトロは聖霊様に導かれて旧約聖書が伝える「神様の約束」を取り上げたのです。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを神は主とし、またメシア(キリスト)となさったのです」と言ったのです。

*ユダヤ人たちはペトロやほかの使徒たちに「わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねています、ペトロはこれらの人に心からの「悔い改め」を求めたのです。「イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」と言ったのです。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日だけでも三千人ほどが仲間に加わったのです。信徒たちは使徒の教えに従い、相互の交わりを大切にし、パンを裂くこと(聖餐式の実施)を順守し、祈ることに熱心でした。初代教会はその後も着実に信徒を増やし、発展して行くのです。ペトロは聖霊様に導かれて大胆にキリスト信仰を証ししたのです。ユダヤ教の伝統に固執するユダヤ人たちに旧約聖書(神様とイスラエル民族の歴史)に準拠して「新しい道」-キリスト信仰は当初このように呼ばれていたのです-について解説したのです。ペトロの宣教手法は受け継がれて行くのです。「信仰告白」としてまとめられたのです。今日においても礼拝や洗礼式で用いられているのです。ペトロの信仰理解によれば「この世の終わり」が差し迫っているのです。パウロは自分の存命中にイエス・キリストの再臨が起こると考えていたのです。ただ、このような信仰理解は往々にしてキリストの信徒たちを「知的信仰」に陥(おちいら)せるのです。ペトロは「神様の御心」を知る(神様の御業を追体験する)ことの大切さを教えているのです。神様はイエス様によって「神の国」の福音を語られたのです。聖霊様によって信徒たちを導き、「力」を与えられるのです。

2026年04月12日