「御子の権威と人々の信仰」

Bible Reading (聖書の個所)マルコによる福音書2章1節から12節

数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

(注)

・カファルナウム:ガリラヤ湖の北西にある町です。漁業、農業、交易の中心地です。イエス様の宣教の拠点です(マタイ9:1)。しかし、イエス様はこの町の不信仰を厳しく非難して「・・カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである」と言われたのです。(マタイ11:23-24)

・パレスチナの家:屋根は藁(わら)と固めた泥で覆われた横桁(よこげた)で作られています。

・セフォリスの蜂起:ローマ帝国の圧政に対するユダヤ人たちの闘いの一つです。強大なローマ軍によって鎮圧されたのです。多くの人が見せしめとして処刑されたのです。セフォリスはイエス様がお育ちになったナザレから歩いて半日のところにあります。歴史を辿(たど)ることはキリスト信仰を理解する上で不可欠なのです。

・発掘調査:David Fiensy著「社会史」(1991)


・人の子:


この呼称には三つの意味があります。第一は預言者です(エゼキエル書2:1-3)。今日の聖書の個所では、イエス様は預言された人の子であることを明らかにされたのです。第二は天の雲に乗って現れる終わりの時の審判者です(ダニエル書7:13-14)。他に「わたしとわたしの言葉を恥じる者(たち)は、人の子も自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときにその者(たち)を恥じる」(ルカ9:26)、「神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」(ルカ18:8)があります。第三はこの世に生きる普通の人間を表しているのです(ルカ9:58)。

・神様の主権:

■主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」(出エジプト記34:5-7)

・御子の権威:イエス様はモーセと預言者エリヤと三人で語られた時がありました。神様の御声が雲の中から聞こえたのです。「これはわたしの愛する子。これに聞け」と言われたのです(マルコ9:2-8)。イエス様は「神様のお言葉」なのです。

(メッセージの要旨)

*イエス様は洗礼者ヨハネがガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによって逮捕されたことを聞かれました。故郷のナザレを離れ、湖畔の町カファルナウムに来て住まわれたのです。これは、イザヤの預言「・・暗闇に住む民は大きな光を、死の影の地に住む者(人々)に光が射(さ)し込んだ」が実現するためでした(マタイ4:15-16)。その時から、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣教を始められたのです。しかし、ファリサイ派の人々や律法学者たちは悔い改めることなく、イエス様と徹底的に対立したのです。ファリサイ派の律法学者は罪人や徴税人たちと一緒に食事をされているイエス様を非難したのです。イエス様は「医者を必要とするのは、丈夫な人(人々)ではなく病人(たち)である。わたしが来たのは、正しい人(人々)を招くためではなく、罪人(たち)を招くためである」と反論されたのです(マルコ2:16-17)。医学が発達していない当時にあって病人が多いことは理解できるのです。しかし、歴史的背景を踏まえることが重要です。ローマ帝国の支配が厳然と存在していたのです。彼らに同調する議員や祭司たちが民衆を苦しめているのです。ローマ帝国による重税と神殿政治を支える神殿税は最低限の生活さえ危うくしているのです。病気を医者に診てもらう経済的な余裕などないのです。しかも、ローマ軍兵士の蛮行(ばんこう)は人々を精神的に追い詰めているのです。律法学者たちは人々の罪を責めるだけなのです。イエス様は御子の権威によって「罪の赦し」と「病気の癒し」を同時に実行されたのです。

*イエス様はガリラヤ中の会堂を巡回して、人々に「神の国」-神様の支配-の到来について教えられたのです。「力ある業」によって福音を目に見える形で示されたのです。病気や心身の障害は罪の結果なのです。こうした考え方は弟子たちにも見られるのです。彼らが「生まれつき目の見えない人」に出会った時に、「この人が生まれつき目の見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも,両親ですか」と質問しています。イエス様は「(どちらかが)罪を犯したからではない。神の業がこの人に現れるためである」と答えられたのです(ヨハネ9:1-3)。イエス様が命じられると汚れた霊に取りつかれた男の人から汚れた霊が出て行ったのです。重い皮膚病を患っている人に触れて清くなれと言われると、重い皮膚病は去ってその人は清くなったのです。評判はガリラヤ地方の隅々にまで広まったのです。大勢の人が家にまで訪ねて来るようになったのです。その中にはイエス様がおられる家の屋根をはがして穴をあけ、病人が寝ている床をつり降ろした人々もいたのです。イエス様の「癒しの力」に対する強い期待がそのような行動に駆(か)り立てたのです。イエス様が「災い」(天罰)を宣告された不信仰の町カファルナウムにも信仰に堅く立った人々がいたのです。イエス様は篤(あつ)い信仰心をご覧になって中風の人に「あなたの罪は赦された」と言われたのです。病気も癒されたのです。人々が病気の治癒や心身の障害からの解放を願っているのです。問題はそこに信仰が見られるかどうかなのです(ルカ17:11-19)。

*他にも四福音書の記者が独自の視点からイエス様の「癒しの業」(力ある業)を記しています。マタイは「イエスは・・民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。・・人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者(たち)、悪霊に取りつかれた者(たち)、てんかんの者(たち)、中風の者(たち)など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた」(マタイ4:23-24)、マルコは「人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人(たち)を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人(たち)を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた」(マルコ6:53-56)、ルカは「イエスは(洗礼者ヨハネの使いの弟子たちに言われた)。・・ヨハネに伝えなさい。目の見えない人(人々)は見え、足の不自由な人(人々)は歩き、重い皮膚病を患っている人(人々)は清くなり、耳の聞こえない人(人々)は聞こえ、死者(たち)は生き返り、貧しい人(人々)は福音を告げ知らされている」(ルカ7:21-22)、ヨハネは「エルサレムには羊の門の傍(かたわ)らに・・五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。・・そこに、38年も病気で苦しんでいる人がいた。(イエスの言葉によって)その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出した」(ヨハネ5:2-4)と、伝えているのです。

*病気や心身の障害と罪との間に因果応報の関係はないのです。しかし、ローマ帝国による圧政は人々の生活と健康に大きな影響を与えているのです。ローマ帝国への人頭税と神殿税(献金)を納めた後に、民衆には自分と家族がかろうじて生きていくだけの「お金(物)」しか残らなかったのです。農業は不安定です。不作の時には金持ちからお金を借りる人も少なくなかったのです。借金を返済できないために債務不履行となる人々もいたのです。担保の土地や所有物をすべて失ったのです。極端な例として、債務者とその家族が債権者の奴隷となったのです(マタイ18:23-35)。労働者たちの生活も悲惨でした。彼らは一日単位で雇われました。日の出から日没までおよそ10時間働いたのです。収穫期には労働時間が2時間以上も長くなったのです。「発掘調査」によると労働者たちの骨格が激しい労働によって変形していたことが報告されています。一般的な家族構成は六人です。単身労働者の平均賃金は一日1デナリオンです。家族手当などはないのです。このような賃金では一家を養えないのです。貧しい人々は常に飢えと病気の不安に悩まされたのです。イエス様は抽象的にではなく、現在形で「心の貧しい(絶望の中で心が折れている)人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」(マタイ5:3-4)、「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる」(ルカ6:20-21)と、宣言されたのです。

*イエス様が語られた「神の国」の福音は民衆にとって希望の光となったのです。中風の人の「癒しの業」は「神の国」の到来が福音であることを人々に確信させたのです。罪の赦しはイエスの権威をさらに高めたのです。しかし、様々な病気や心身の障害の背後に経済的困窮があることも事実なのです。貧しさのゆえに十分な治療が受けられないのです。ユダヤ人歴史家ヨセフスはユダヤ人たちの暴動について記しています(ユダヤ古代誌17:295)。民衆の多くは日々の糧を確保するために労苦しているのです。家族の生活を破壊する高い税金やローマ軍の兵士たちによる傍若無人な振る舞い(女性への暴力)に抗議するために立ち上がったのです。しかし、圧倒的な武力によって鎮圧されたのです。イエス様が誕生される数年前に起こった「セフォリスの蜂起」は悲惨な結末を迎えたのです。参加者は拷問され、見せしめとしておよそ2000人が十字架上で処刑されたのです。ユダヤ人たちの間に生じた恐怖は窮乏生活の改善を求める抗議行動を委縮させ、彼らの精神をも破壊したのです。ローマ帝国の残忍さは近くのナザレにも伝わりました。そこでお育ちになったイエス様は悲惨な歴史を想起し、民衆の苦難を深く憐れまれたのです。聖書が伝える歴史的事実は今日にも当てはまるのです。至る所に飢えと病気で苦しんでいる人々がいるのです。ロシアのウクライナ侵略やパレスチナにおける紛争が顕著な例です。四人の男性のように、キリストの信徒たちも困難にある人々の重荷を少しでも軽くするのです。物心両面にわたって出来ることを実践するのです。

2024年01月14日